その当時も絵画は死んでいた。芸術作品が力を得るためには過去との差異を生み出す必要があった。だから戦後のアメリカの抽象表現の画家たちは絵画のようで絵画ではないものを描いたのだ。そのうちの一人、バーネット・ニューマンの言うところでは、絵画ではなく「場所の感覚」という言説によって、その形式は後世のミニマリズムの作家たちに多くの影響を与え、今ではインスタレーションという形式に変容している。しかし、その抽象表現主義の崇高性やその感覚は時代によって失われた。
 前述の絵画群を死体、つまり効力の失われた古代の遺物だとして思考すると、その感覚はVRヘッドセットによって呼び起こされる。「抽象」という現前できないものを現前させる、といった文章の矛盾は、VRのイリュージョンによって可視化される。その感覚をVR(virtual reality)ではなく、VA(virtual abstraction)としよう。しかし、その取り戻された感覚は虚構なのだ。ニューマンの絵画のようなオブジェクトは、印刷された複製物であり、VRの仮想空間は言うまでもなく仮想の虚構である。鑑賞者は版画→VR→版画、ホワイトキューブ→仮想のキューブ→ホワイトキューブという鑑賞のフローを辿る。しかし、その体験から我々は虚構の空間と現実の空間を結びつける。かけ合わされた虚構の感覚を新たに知覚した時、その感覚は真実へと変わるだろう。

2020年 VRヘッドセット、キャンバスにシルクスクリーン、モニター

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